金沢大学 呼吸器内科 新入医局員紹介(3)
今回も、出典は、金沢大学第三内科(血液・呼吸器内科)の同門会誌からです。
新入医局員紹介の記事の連載です。
藤田 健太郎
平成20年4月より金沢大学旧第三内科、呼吸器科に入局させていただきました、藤田健太郎と申します。
平成15年に金沢大学医学部を卒業した後、同期の多くが大学の医局に入局する中で、私は東京の国立国際医療センター(旧陸軍第一病院)に初期研修をさせていただきました。当時は初期研修医制度がまだ始まっていなかったので、医局に残らず外の病院で研修をする者は非常に珍しかったと思います。
生まれも育ちも金沢であり、かつ金沢大好きである私が、外の病院で研修することに対して、よく同級生から疑問の声があがりました。しかし理由は非常に単純でした。好奇心旺盛で束縛される事が大嫌いである私は、一度金沢を出てみたかったことと、都会で多くの人の刺激を受けてみたかったのでした。
また、尊敬する部活の先輩である刀祢先生がその病院にいらっしゃった事も大きかったです。研修病院として、当時すでに有名であった国際医療センターでの2年間の初期研修は、非常に充実し、楽しいものでした。全国各地、沖縄から北海道までの研修医が同学年で45人ほど、2年目を合わせるとおよそ100人になります。色々な方言が飛び交うなか、同じ寮で生活をし、一緒に勉強し、悩んで、笑って、飲んで・・・忘れることができない貴重な時間でした。
元々、呼吸器科に興味があった私は、2年の研修終了後に大学の医局に戻る予定でおりました。しかし、同病院での呼吸器研修が非常に魅力的であったこと、症例が非常に豊富であったこと(当時は結核合わせて、180人強の呼吸器入院患者がいました)、全国の初期研修を終えた呼吸器後期研修が集まっており、当時の同期が9人と楽しそうな雰囲気であったことに負けてしまい(笑)、さらに3年間残ることにしました。
その間、多くの症例を経験でき、在宅医療の英先生とも一緒にお仕事ができ、また1年間はチーフレジデントとして運営、研修教育にも携わることができ、とても充実した時間を過ごすことができ、感謝しております。
5年間の長い研修期間が終わり、将来を考えたとき、呼吸器の臨床が好きである私は、どこで臨床がしたいのか考えました。やはり将来は北陸で医療をしたいと思いました。どうせ携わるなら、自分が恩恵をうけた、またこれまでに世話になった人がいる場所(すでに他界してしまった人もいますが、その場合はその人が関係を持った人がいる場所)と考えました。
であるならば早く地元の医療の需要と供給が知りたいと思い、この度、金沢大学の医局に入局させていただきました。
最近の研修医の中には、QOLを重視してか、マイナー科へ行く者も多いようです。世の中は、「きれい」「はやい」「簡便」である事を重要としているようです。
一方で、呼吸器疾患は、高齢者が多く、生命に関わることが多いなど、内科の中でもいわゆる3K的な要素が多いと感じます。しかし、そういった分野こそ、そこに一生懸命に関われることこそ、実は日本の医療のよさ、本当の価値があるのでは?と最近感じます。
一生懸命に治療しても、再び誤嚥性肺炎を繰り返し入院してくるご老人を診て、レセプトを見て、溜息をつく一方で、改善したときの本人の笑顔と、文句を言いながらもほっとしたような表情の家族を見て、この分野に携われてよかったと思うのです。
これまで長い間、北陸の呼吸器臨床を守り、学問としても高いレベルを保ってこられた諸先輩方に早く近づけるよう、日々精進していきたいと思います。
【リンク】
播種性血管内凝固症候群(DIC)(図解シリーズ)
血液凝固検査入門(図解シリーズ)
投稿者:血液内科・呼吸器内科at 02:22| 研修医の広場 | コメント(0)