血栓止血学会(鹿児島)学会の寄り道:西郷隆盛ほか
先日、血栓止血学会が丸山征郎会長のもとで行われました(鹿児島)。
鹿児島での学会は、管理人は初めてです。学会プログラムの内容はとても充実していて、とても勉強になりました。それに加えて、やはり折角の鹿児島での学会ですので、アフターファイブも満喫したいものです。
「学会の寄り道」をシリーズでアップさせていただきます。
【学会の寄り道】(1)
初期研修医のとき、上級の先生方から「学会出張のいいことの一つは、あちこちの街に行けることだ」とよく言われました。しかし最近では、大きな学会を中心に東京・大阪・京都・福岡などの大都市が多くなり、足を運ぶ街が限られてきているように思われます。
しかし血栓止血学会や検査血液学会などの学術集会は、そういった大都市以外の街でも開かれているので、見知らぬ街を訪れる楽しみを感じさせてくれます。
今回訪れた鹿児島もはじめてでした。
私が宿泊したホテルは、鹿児島中央駅から程ない、甲突川という川の川べりにありました。
その川をはさんで、ホテルの真向かいに「大久保利通生誕地記念碑」がありました。
そこから川べりを20メートルほどいくと「西郷隆盛生誕地記念碑」があり、さらに川から離れるようにして、わずかに進むと「大山巌生誕地記念碑」や「東郷平八郎生誕地記念碑」がありました。幕末から明治に大きく活躍し、教科書にも出てくる方々です。
これらはホテルから歩いてほんの1,2分のところで、たまたま見つけたものでした。
以前司馬遼太郎さんのエッセイ(だったと思います)で、「西郷隆盛や大久保利通らは同じ町内の出身であった」ということを読んだことがありましたが、実際に歩いてみると、同じ町内どころか、皆さん隣近所です。
同じエッセイで「西郷隆盛と大久保利通は年齢も近く、深い友情を育みながら困難を乗り越え、明治維新を成し遂げた」ということが書かれていたように記憶していますが、この近さを知ると「深い友情」がより実感を持ってきました。
日本史年表を見ますと、明治6年、いわゆる「征韓論」問題で西郷隆盛と大久保利通は対立、西郷隆盛は明治政府を去り、鹿児島に引き上げます。その4年後には西南戦争が起こり、西郷隆盛は鹿児島・城山で自刃します。
今回の日本血栓止血学会学術総会の会場は、その城山にある城山観光ホテルでした。ホテルのごく近くには、西郷隆盛が自刃する直前まで立てこもっていた洞穴もありました。
城山観光ホテルからは桜島や鹿児島市内も一望できました。見てみれば、私が泊まっていたホテルのあたりもかすかに見えました。そのときふと、西郷隆盛もきっと亡くなる直前にここから同じように甲突川を眺め、川沿いの自分の生まれた家のほうを見ていたのではないだろうかと思いました。
「大久保利通生誕地記念碑」と「西郷隆盛生誕地記念碑」はともに同じくらいの大きさです。黒ずんでいる碑石を触りましたが、ひんやりとしていて同じざらつきを感じました。2つの碑の側面には、建立者として東郷平八郎以下薩摩出身の有力者の名前が連なっていました。
西郷隆盛と大久保利通。それぞれ生きていたときから、そして亡くなって130年以上経た今日においても毀誉褒貶があります。
同じような石で、同じくらいの大きさでこの2つの碑を建立した薩摩の人々の思いとはどんなものだったのだろうかと思いました。
(大久保利通については、「大久保利通生誕地記念碑」と碑石にはありましたが、正確には「生い立ちの地」だそうで、生誕地は近隣ながら別のところだそうです)
なお、上の画像は、左が 「西郷隆盛生誕地記念碑」、右が「大久保利通生誕地記念碑」です。
(続く)
【リンク】
播種性血管内凝固症候群(DIC)(図解シリーズ)
血液凝固検査入門(図解シリーズ)
投稿者:血液内科・呼吸器内科at 23:55| 血栓止血(血管診療) | コメント(0)