寺崎靖先生(近況報告):富山市立富山市民病院 血液内科
富山市立富山市民病院の外観です。奥に見える茶色の外壁の建物が新設された富山市・医師会 急患センターです。
富山市・医師会 急患センターの外観です。富山市立富山市民病院とは別の建物になりますが、通路によって同院と接続されており、風雨を気にせず当院へレントゲンなどの検査に行くことができます。
金沢大学第三内科(血液内科)出身で、現在、富山市立富山市民病院 の血液内科部長の寺崎靖先生から、同門会報用の原稿をいただきました。
寺崎先生のご了解をいただきましたので、ブログ記事としてもアップさせていただきます。
個人的には、管理人が大変懇意にさせていただいている先生のお一人です。寺崎先生、いつもありがとうございます。
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近況報告(富山市立富山市民病院 血液内科 寺崎靖先生<平成5年入局>より)
富山市は、平成17年4月に(旧)富山市、大沢野町、大山町、八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村が合併し、新しい「富山市」が誕生、人口421,890人となり、また、全国の都道府県庁所在地の中では2番目に広い総面積を持つようになりました。
富山県の約1/3の面積を占め、1つの市町村が県に占める面積の割合としては全国一となっています。平成18年4月には、全国初の本格的LRT「富山ライトレール」が開業し、平成20年7月には、国の「環境モデル都市」(当時は全国で6都市の1つ<現在は13都市>)に選定されました。
さらに、平成21年12月には、駅前と中心部を巡回する「富山市内電車環状線(愛称セントラム)」が開業するなど、ここ数年は激変とは言わないまでも、着実に変化してきていることは間違いありません。
富山市立富山市民病院は、昭和21年、富山市大手町に産声を上げました。昭和58年に現在の今泉に新病院が完成し、ヘリポートも開港しています。以前は五福という所にも分院がありましたが、今は閉院となっています。
また、平成18年には五福から当院の近くに富山市立看護専門学校が移転してきました。
病床数は595床(一般病床539床、精神病床50床、感染病床6床)で、平成21年4月には緩和ケア病棟も開設しました。これは富山県内では4番目の規模となっており、富山県東部の中核的な医療機関の1つを担っています。
平成20年には売店も一新し、新たにコーヒーショップもオープンするなどアメニティーも充実してきています。
平成23年9月現在の医師数は、研修医も含め90人で、うち内科医師数は健康管理科も含め23人となっています。
平成22年度の延患者数は、外来が260,493人(前年度比1.06倍)、入院が169,804人(前年度比1.02倍)といずれも前年度より増加しています。
また、平成14年4月に臨床研修病院、平成19年1月に地域がん診療連携拠点病院、平成20年6月に日本医療機能評価機構認定病院(一般500床以上Ver.5)、平成20年10月には富山県初の地域医療支援病院に承認され、さらにこの4月から地方公営企業法の全部適用病院となりました。
特筆すべきは、平成22年度の病院事業収益と病院事業費用の収支差額が、前年度比9億7百万円増となり、当院経営改善計画の目標を大きく上回る3億8千万円余りの単年度黒字を達成したことです。診療報酬改定の影響もあったとは言え、それ以上にわれわれが努力した成果と考えています。
院内の診療システムに関しては、平成18年1月には電子カルテシステムが本稼動、平成20年7月にはDPCが導入、同年12月には7対1看護が実施されました。
特にDPCの導入により、各種クリニカルパスがさらに充実してきています。
また、「病院の総合力」とも言うべきDPCの機能評価係数IIのランキングが今年度は、1449病院中141位であり、これは、北陸三県では3県立病院に次ぐ4番目、県内で2番目という好位置につけています。
当院は、富山医療圏での二次救急医療機関として輪番救急にも当たっています。しかし、患者が軽症であっても、二次救急医療機関を受診する「コンビニ受診」患者が増え、われわれ勤務医の勤務環境の悪化を招いています。
富山市には富山市が富山市医師会に委託している「富山市救急医療センター」があり、開業医の先生方が一次救急にあたっておられますが、施設の老朽化と市民の要望に応えるには医療機器が不十分であることがネックとなっていました。
そこで、当院の医療機器を活用して検査体制の充実を図ることにより、二次救急医療機関への直接来院を減らすとともに、富山医療圏における二次救急医療機関との的確迅速な連携を構築する目的で「富山市・医師会 急患センター」と名称を変更し当院敷地内に併設され、10月1日に開設いたしました。
これにより、一次救急と二次・三次救急との役割が明確化され、われわれの負担も軽減されることが期待されています。しかし、当院に併設されるとは言え、輪番制度は堅持されるため(例えば、当院が非輪番日であった場合、急患センターからの紹介患者さんは当院には紹介されず、当日の輪番病院に紹介されることとなります)、体制が円滑に運営されるためには、市民の皆さんの理解と協力が今まで以上に必要となってきます。現在も富山市医師会が中心となってポスターなどで市民の皆さんに啓蒙活動を行っているところです。
さて、最近の嬉しいニュースと言えば、何と言っても研修医に関することに尽きます。新臨床研修医制度が始まった平成16年度からそれほど多くはないものの、継続して研修医に来ていただいていましたが、平成20年度には何と0人という不名誉な事態に陥ってしまいました。
しかし、臨床研修センターのスタッフの頑張りで、平成22年度は2人、そして今年度は何と5人もの研修医に来ていただきました。「そんなに少ないんけ〜」との声も聞こえてきそうですが、われわれとしては十分に満足しています。
現在、6人の研修医が一生懸命働いており、皆さん、明るく元気でまじめ(?)、そして飲み会には必ず出席、巷でよく耳にする「もう、最近の研修医は・・・」という不満は全くありません。このうちの多くが第三内科に入局してくれることを大いに期待しています。
当院の内科は、消化器内科(4人)、循環器内科(5人)、内分泌代謝内科(3人)、腎臓内科(4人)、神経内科(2人)、呼吸器内科(3人)、血液内科(1人)、健康管理科(1人)で構成されています(計23人)。毎週火曜日に内科カンファレンスがあり、また第2火曜日には内科CPCを行っており、活発に議論しています。
第三内科のメンバーですが、呼吸器内科は、中村裕行先生(昭和55年5月19日〜現在)、石浦嘉久先生(平成14年4月1日〜現在)、山本宏樹先生(平成19年4月1日〜現在)、血液内科は、寺崎(平成13年4月1日〜現在)の計4人が常勤として働いています。
医局長の山崎宏人先生には毎週水曜日の血液内科外来を手伝っていただいており、とても助かっています。
病棟は呼吸器内科・血液内科ともに西病棟7階で、大学病院と同じ構成となっています。全員が病棟・外来・救急業務などに多忙を極めています。
中村先生は、塵肺検診や「とやまレントゲン読影会」も担当されています。温厚な性格でいらっしゃいますが、内科カンファレンスの時には鋭い質問をされ、主治医が答えに窮することもしばしばです。われわれ第三内科のメンバーがまとまっていけるのは先生のお陰だと常々思っています。
石浦先生は、平成17年5月から開設された外来治療室をまとめられています。先生およびスタッフのご努力により、その延患者数は年々増加、平成22年度は2,200人超にまで増加しました。また、先般の東日本大震災では3月21日から26日までの6日間、岩手県釜石市に行かれ現地で活躍されました。その時の様子を内科カンファレンスで報告されたのですが、とても生々しく、報道で知るよりその何十倍、いや何百倍悲惨な状況であったかを思い知らされました。
山本先生は、気さくで真面目な性格から他の内科医師からはもちろん、他科の医師からの相談が絶えません。また、研修医の指導にも非常に熱心で、私も研修医であれば先生に指導してもらいたいと思わせるほどです。重症な呼吸器疾患患者を診ることが多く、時々先生の身体が心配になるほど頑張っています。
さて、私はというと、何とか1人で血液内科をやっていますが、困難な症例は、なるべく複数の先生方のご意見も伺いながら治療に反映したいと考えており、他の病院の先生方のご協力が不可欠となっています(特に金沢大学、富山県立中央病院、富山赤十字病院の血液内科の先生方にはとても感謝しています)。また、内科のなかでは剖検・CPC係と福利厚生係を担当しています。
平成22年度の内科剖検体数は4体でしたので、日本内科学会認定教育病院を維持していくためには、今年度は何としても認定基準の1つである10体以上を取らなければならず、気合が入っています(ご存じのように2年連続認定基準を満たさない病院は認定保留、認定取消の対象となります)。福利厚生係(要するに宴会係)は、まあ、得意とするところですので何の問題もありません。
病院紹介と言うより、後半は当院の第三内科のメンバーの近況報告となってしまいました。ご容赦ください。
今後も第三内科同門会の先生方にはお世話になることと思います。その際には何卒よろしくお願いいたします。
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投稿者:血液内科・呼吸器内科at 01:08| その他