教室の紹介
教室の沿革
- 1969年
- 1969年、金沢大学医学部第三内科学講座として開講しました。
初代教授である服部絢一は血液病学の泰斗で、今に続く(旧)第三内科の骨組みを作りました。 - 1974年
- 1974年頃より骨髄移植療法の開発に着手し、血液・免疫グループに加えて、呼吸器グループ(移植後の肺合併症)、感染症グループ(無菌室治療)、心身症グループ(無菌室に隔離された患者の心のケア)による骨髄移植チームを育成しました。
- 1975年
- 1975年に国立大学附属病院で初めての無菌治療室を導入し、1977年に第1例目の同種骨髄移植を実施。
- 1978年
- 1978年にはわが国で初めて、急性リンパ性白血病に対する同種骨髄移植に成功しました。
- 1984年5月
- その後、1984年3月までの在任中に30例の同種骨髄移植を行っています。骨髄移植の健康保険適用に向けて厚生省に何度も足を運び、厚生大臣や日本医師会長とも直接会って陳情したことが、1982年の無菌室治療薬(バンコマイシン)や骨髄移植の保険適用に繋がりました。服部はこのような業績から1984年5月に紫綬褒章を受章し、現在でもわが国の「骨髄移植の父」と呼ばれています。
- 1984年7月
- 1984年7月に松田保が第二代教授に就任しました。
松田は血栓・止血グループを新設し、研究や診療の幅を大きく広げました。厚生省特定疾患血液凝固異常症調査研究班の班長として血液凝固学とくに播種性血管内凝固(DIC)の臨床と研究をリードし、日本におけるDICの臨床と研究のレベルを世界一に引き上げました。現在も日本中で使用されている厚生労働省DIC診断基準(1980年)は松田が中心になって作成したものです。また、分子マーカーを駆使したDIC病態解析は、現在のDIC病型分類に繋がっています。 - 1999年
- そして1999年8月、中尾眞二が三代目の教授に就任しました。
中尾は、骨髄移植の伝統を継承し、同種末梢血幹細胞や臍帯血幹細胞を用いた代替的な造血幹細胞移植、HLA半合致移植などの新しい造血幹細胞移植療法にいち早く着手し、これらを発展させてきました。また、造血幹細胞移植による移植片対白血病効果の増強や、造血不全の病態に関する研究で世界をリードしています。 - 2019年4月
- 2019年より金沢大学内科臓器別再編により同一医局の血液・呼吸器内科から血液内科と呼吸器内科に医局を分け、診療・研究体制を整理しました。現在は血液グループ(血液・移植グループ:骨髄移植・造血不全・化学療法、血栓止血グループ:血管診療・DIC・APS・凝固異常症)、呼吸器グループ(気管支喘息・肺がん・間質性肺炎)に分かれ、他の分野とも連携し、内科としての教育・研究・診療を強化しています。
- 現在
スタッフ紹介
血液内科
- 大竹 茂樹(理事)
- 中尾 眞二(教授)
- 森下 英理子(教授)
- 朝倉 英策(病院臨床教授)
- 山﨑 宏人(病院臨床教授)
- 石山 謙(講師・医局長)
- 高松 博幸(講師)
- 細川 晃平(助教)
- 岩城 憲子(助教)
- 井美 達也(助教)
- 水牧 裕希(医員)
- 田辺 命(医員)
- 辻 紀章(医員)
- 漆原 涼太(医員)
- 近川 由衣(医員)
- 貫井 友貴(医員)
- 林 朋恵(パート)
- 杉森 尚美(医員・診療支援医師)
- 門平 靖子(医員・診療支援医師)
呼吸器内科
- 笠原 寿郎(病院臨床教授)
- 曽根 崇(特任准教授)
- 木村 英晴(講師・医局長)
- 原 丈介(助教)
- 大倉 徳幸(助教)
- 阿保 未来(助教)
- 丹保 裕一(医員)
- 西川 晋吾(医員)
- 松岡 寛樹(医員)
- 佐伯 啓吾(医員)
- 寺田 七朗(医員)
- 谷村 航太(医員)
- 小川 尚彦(医員)
- 赤崎 恭太(医員)
- 松田 康彦(医員)